北海道旅行(2):襟裳岬-夜中のヒッチハイク(再プチ奇跡?)

失敗談:雑記(小奇跡)

北海道旅行(2)~目的地選択理由~

私は旅行をする時に訪れた土地を舞台として作られた歌を口ずさみたいという変な趣味?(性癖)を持っておりました。北海道旅行においては、北海道出身のアーティスト:松山千春さん、中島みゆきさん、ふきのとうさん達の曲を作った土台、雰囲気を感じたいと思っておりましたが、その他にも、函館で「函館の女」(北島三郎さん)、小樽で「小樽のひと」(東京ロマンチカさん)、知床半島で知床旅情(森繁久彌さん)、襟裳岬で「襟裳岬」(森進一さん・個人的には吉田拓郎さんの歌だと思っております。作詞は岡本おさみさんですが)の襟裳岬、その他諸々の曲を口ずさみたいと思っておりました。自分が知っている歌ならニューミュージック(当時)、Jポップ、演歌等のジャンルは問いません。旅行で訪れる目的地もこれをベースに選んでおりました。最も稚内だけは日本最北の地を訪れたいという気持ちの方が強かったですが・・。


 その他にもその場所をイメージされて作られたかは定かではありませんが、北海道大学のポプラ並木で「良生ちゃんとポプラ並木」(松山千春さん)、中標津あたりで「地平線の見える街」(風さん)等、この場合、自分の曲のイメージがその土地だと自分で思い込んでいればそれでOKです。かなりアバウトですが、趣味でOriginal Songを作っていたので、その創作活動の影響だったのかもしれません(恰好良く言えば)。
 そして、北海道の大草原を見た途端、それまで何となく聞いていただけの松山千春さんの歌がググっと心の中に入ってきました。そこで初めて松山千春さんの曲の良さを理解できたような気がしました。

稚内から道東めぐり

 前回の記事:北海道旅行(1)https://o-chan-dtm.com/small_miracle/605/で函館山で偶然に会った友人と札幌で別れた後、夜行にて稚内へ。稚内に朝着いて昼に稚内駅で約束していた友人と無事会う事ができました。その後、その友人と稚内市内、宗谷岬等を観光して次に道東(知床・野付半島)⇒ついで襟裳岬へ行く予定にしていました(今思えば大旅行も良い所です)。
 夜行で稚内から網走へ移動。網走に着いた後、網走刑務所を見た後、網走駅で若い2人組の社会人男性男性(みるからに僕らと同じように北海道旅行の様子)に声をかけられ、どこに行くのか聞かれ知床半島に行こうと考えている旨を伝えたら、レンタカーを割り勘で相乗りしないか打診され、こちらもOKしました。そして以後は彼らとレンタカーで知床、摩周湖、屈斜路湖等を回りました。(阿寒湖は記憶にあまりないのですが、マリモをお土産に買っていたのでもしかしたら行ったのかもしれません)。ちなみに摩周湖の展望台では布施明さんの「霧の摩周湖」を口ずさもうと思っておりましたが、文字通り霧で何も見えなかったので車で素通りでした。やっぱり「霧の摩周湖」です。(でも車の後部座席で皆には聞こえない小さな声で口ずさんではおりました)。
 正確な土地名はもう覚えておりませんが、中標津近くの民宿に社会人の方は宿泊されるので、私達はその民宿の駐車場に停めたレンタカー内で寝袋で宿泊。レンタカー代は彼らに事前に払っておいて翌朝早く僕らはトドワラを見に野付半島へで移動しました。これも全くの偶然なのですが、中標津は野付半島にかなり近い所に位置している町ですね。もしかしたら当時国鉄の最寄り駅だったのではないでしょうか。 社会人の方々は私達の為に中標津に民宿を予約してくれていたような感じでした。そして訪れた野付半島はとても良い所でした。私のOriginal曲「草原と雲に包まれて」https://www.youtube.com/watch?v=IqwukftvRj4、「sorrounded by green meadows and white clouds]https://www.youtube.com/watch?v=UIsRGZeKmPMはここを訪れた時に抱いた印象を元に作りました。

襟裳岬へ(1)国鉄・広尾駅

 野付半島の後は釧路経由で襟裳岬へGo。当時は国鉄・広尾駅が襟裳岬最寄りの駅だったと思います。と言っても広尾駅から襟裳岬までは50-60Km位離れていたと思います。釧路から広尾までの路線で当時一世を風靡した「幸福駅」や「愛国駅」がありました。でも、これらの駅は時間的に余裕が無く素通り、広尾駅に着いたのはもう日が暮れて夜7時過ぎ頃だったと思います。まったくの若気の至りですが、これから襟裳岬まで夜通し歩いて襟裳岬で初日の出を見る計画でした。襟裳岬は日の出と日の入り両方を見る事が出来る日本で数少ない岬だという話を聞いたことがあったからでした。

ただ、重いリュックを抱えながら数10Km歩くのはしんどいので、広尾駅近くで灯りが点いている民家の玄関をたたいて「襟裳岬までこれから行きたいから一晩リュックを玄関に置かせて下さい」と半ば強引に頼み込み、そして二人で夜道を歩き始めました。夜道、ウォーキングの為、途中で懐中電灯をコンビニ(だったかな? スーパー? 小さい電気屋さん? 記憶があいまいです)で買いました。今思うと電池の予備は買っていなかったと思うので、夜通し懐中電灯を灯けていたら電池が危なかったかもしれません。

襟裳岬へ(2)夜の+ヒッチハイク

 歩き始めて1時間位経った頃でしょうか、自分達はこれはどう考えても翌朝までに襟裳岬まで着く事は不可能だと思い始めました(もともとかなり無謀な計画でした)。しかも街灯もほとんどなく、真っ暗闇の道路で月あかりだけです。右側は山、左側は崖の海。更にこの道路を開通する工事の時に犠牲者が出ている事も事前調査で知っていましたので、真っ暗闇の道路を歩いているうちに結構不安になってきました。
(僕)「右側の山から熊が出たらどうする?」
(友人)「お前を囮にして俺逃げる。」
(僕)「どこに逃げる?」
(友人)「崖から飛び降りる」
(僕)「助かるかな~。幽霊に足引っ張られないかな?」
(友人)「助かる確率だったら熊よりは高いんじゃないの?」
って感じで(多分、お互いに不安をかき消す為に)意味のない話をして歩いていましたが、流石にもうこれはどうしようもない、無謀な計画に反省しきりです。襟裳岬で朝陽を見たいと言ったのは僕ですので・・。でも、何故かその時友人は僕を非難するような態度は見せませんでした。感謝感謝です。

 ここで、一縷の望みをかけてヒッチハイクをすることにしました。夜ですからボードに何か書いても見えませんし、そもそもボード自体を持っていない。そこで、通り過ぎる車に、懐中電灯を振って停めてもらう策をとりました。でも、もともと夜道でしかも市街地から外れた交通量の少ない道路です。車自体がめったに通らない。これも望み薄でした。でも、平均すると(多分1時間に数台程度)は通ったと思います。その度に懐中電灯を振りましたが、当然の事ながら皆全くの無視です。僕が逆の立場でも車を停めて乗せようとは思いませんね。いくら北海道でもさすがにそこまでは甘くなかった。一台は、一旦止まってくれましたが、僕らを見てユーターンして戻って行きました。(笑・泣・汗)

 もう記憶があいまいなのですが、ヒッチハイクを始めて2~3時間位経った頃でしょうか、一台のワゴン車が止まりました。運転手さんは魚乾物か何かの卸販売をされている方でした。我々が懐中電灯を振っているのをみて警察の取締りと勘違いして止まったようです。理由を話し襟裳岬まで行きたい件を伝えたら、彼も遅くなったのでどこかに車を停めて仮眠しようと思っていたとの事で、「じゃあ襟裳岬まで乗せてってやる」と言っていただき奇跡的に襟裳岬まで連れて行っていただきました。車で1時間位走って襟裳岬に着いたと思います。夜中に襟裳岬の駐車場に着いたので運転手さんは運転席に横になって、我々はワゴン車の後ろに荷物と一緒に寝かせて頂きました。

襟裳岬へ(3)目的達成

 そして早朝、無事襟裳岬から日の出を見る事ができました。私は一人、友人と運転手さんから少し離れた所で「襟裳岬」をフルコーラスで口ずさみました(私の一つの目的達成です)。帰り道、運転手さんは釧路方面に戻るからと言って私達を広尾まで再度乗せて行ってくれました。。その道中、明るくなって風景が見える道路を眺めながら、今度は左側に山、右側に崖の海を見て夜中にここを歩いて走破しようと思っていた事、全く無謀な計画だった事を改めて思い知らされました。そして運転手さんが僕らの軽装を疑問に思って聞かれた時、リュックを広尾の民家に預けた旨を伝えると民家の方に失礼だからと言って、彼の販売している魚乾物一袋を下さって「これお礼に持って行け」と渡されました。流石に車に乗せて頂いてそれまで頂くのは失礼なので、お金を支払いたい旨を伝えましたが、「学生からお金を貰うつもりはない」としてそれを固辞されましたので、深くお礼を言って有難くいただきました。運転手さんへの私達の感謝はしてもしつくされません。民家の方にもお礼と共に乾物を渡しましたが、この時も民家の方は「ただ玄関に置いていただけだから」と乾物の受け取りを始め拒否されましたが、私達がヒッチハイクで乗せて頂いた方からの旨を伝え、ご理解頂いた上で受け取っていただきました。

北海道旅行にカメラは持って行かなかったですね。カメラは結構嵩張りますし、当時私はその土地に行けさえすればそれで良く、「風景は目に焼き付ける」という、これも変な拘りを持っていました。これより、襟裳岬の写真は無いので、上記の襟裳岬の写真を「photoAC写真のフリー素材サイト」https://www.photo-ac.com/から、「まりこげ」さんの写真を引用させて頂きました。
 運転手さん、あの時は、本当にありがとうございました。運転手さんに拾って頂かなければ、襟裳岬での朝陽どころか、もしかしたら遭難でニュースになっていたかもしれない無謀な試みでした。感謝してもしつくせません。改めて本当にありがとうございました。

足寄へ

 広尾の後は池田町、そして松山千春さんの地元の足寄町。松山千春さんの実家を見たくて行ったのですが、行く前は
(友人)「場所解るかな?」
(私)「地元なら超有名人だから誰かに聞けば解るだろう」
程度の気持ちだったのですが、駅に着いたら正面に「松山千春の家⇒」と表示板がある。それに従って歩いて行くとご実家はかなり観光地化していて松山千春さんの大きな顔のパネルが家の外に飾ってあり、人がごった返している。家の近くに空き地があって、観光バスが止まって観光客ツアーも降りていたような記憶があります。これにはびっくりで、相当なショックを受けました。最も、私達が行きたいと思う位ですから、世間一般の人が行きたいと思っても何ら不思議はありませんよね。でもそれだけ観光客の人が来るという事は町興しに大きく貢献しているという事ですよね。もう当時の記憶があいまいなので、下のイラストは昔に松山千春さんの家を撮影されたインターネット上の写真を参考に、自分の記憶に近いものを参考にイラスト作成させて頂きました。

 足寄に寄った後は一緒に歩いていた友人とは再度別行動にして私は実家に帰省するのですが、函館で別の友人とばったりあった事、レンタカーの相乗りをした社会人の方が予約していた民宿が次の日僕らが行く予定だった野付半島の最寄りの町だった事、夜中のヒッチハイクで奇跡的に車に乗せて頂いた事等、小さなプチ奇跡がいくつもあった旅でした。
 昔の日本は今よりもっと大らかでちょっとしたことは大目に見てもらえる雰囲気があったと思います。そして、当時私は「ちょっとした無謀な冒険も出来るのが若さの特権」みたいな若気の至りの思い込みを持っており、その分無謀な旅行をしてしまいました。車に乗せて頂いた運転手の方、広尾で荷物を預かって頂いた方々には感謝しても感謝しつくせません。

 ちなみに、確か釧路だったと思いますが、クマが鮭を加えている例の木彫りの小さな彫刻が安かったのでお土産に買ったのですが、自家に帰省後、実家近くの観光地で全く同じもの(大きさも一緒です)がそれよりも安く売られてました(泣)。これを見つけた時はちょっと損な気もしたのですが、もう一方で、別の意味での旅の土産話が一つ出来てラッキーとも思いました。これにて北海道の旅行記は無事終了です。ご拝読どうもありがとうございました。

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