曲紹介①:66.【バス停看板】
2024年4月5日にYouTubeに66曲目「バス停看板」を投稿しました。これもOriginalの曲は学生時代に作ったものです。この詞は恋愛詞ではなく、バス停看板を擬人化して表現しましたが、自分的には詞に関する視点の入れ方が他の曲とちょっと違って、我ながら上手く状況を切り取る事が出来たのかな?と思っております。詞には少なからず私の経験も思いとして入っております。
私の生まれ故郷は超田舎、小学校の時、社会の授業で地図帳で岐阜県や長野県の茶色一色で等高線が密に詰まっている地域を見て
「良くこんなところに人住んでいるな~」
と思っていたのですが、いわずもがな、当時私の住んでいた地域はそれに負けず劣らず、いや自然環境的にはもしかしたらそれより厳しい地域かもしれません。それでも当時は自分が知っている範囲が世の中の全てでした。全くの「井の中の蛙」大海を知らずの状況でした。
私の町にはデパートが無く、ショッピングと呼べるには隣町までバスか車で30分かけて行かなければならなかったのですが、小さい頃は1時間に1本あったバスが年と共に次第に便数が減ってしまい、今は日に2~3本(もしかしたら1~2本)程度まで減っているようです。
若い人達は大きな街に就職して帰ってこず(かく言う私も人の事を言えた義理ではありませんが)、人は減る一方、でもバス停看板はそんな中でずっと立ち続けて我々の営み、歴史、生き様をじっと見つめてくれていました。
YouTube投稿に際してOriginalと詞は少し変えましたが、変えた詞で年老いで行きながらも、誇りは失わない人の矜持みたいなものを少し含めた形としました。それに気付いて頂いた方がおられましたら嬉しいです。Originalの詞を変えた理由はこの投稿の最後にOriginalの詞と共に記載しておりますので、そちらをご覧下さい。
バス停看板 詞/曲:O-Chan
今日もバスは小さな響きを残し 赤い夕陽の中へ消えて行った
後には小さな田舎の停留所のバス停看板が立ってるだけ
ここでバスに乗る人はまばら いつも独りぼっちのままで
様々な物語を 見つめ続けながら
静かにバス停看板はいつも立ち続けている
その村も年老いてきて みんな街へと移って行った
後にはさびれた停留所跡に バス停看板が立っているだけ
ここでバスを待つ人はいない ずっと独りぼっちのままで
雨風に打たれながら立ち続けている
幾度季節が巡っただろう いく年が過ぎただろう
ここでバスに乗る人はいない
ここにバスが来る事も無い
年老いながら錆び付きながら 立ち続けている
立ち続けている 抗い続けている
曲紹介➁:79.【The Bus Stop Sign】
英語版、【The Bus Stop Sign】は日本語版をアップしてから約半年後、2024年10月4日にYouTubeにアップしました。イラストに動きを入れた動画としました。でもそれぞれの人を描画していると大変なので人はシルエットにて表現しました。個人的には2番のフレーズ中に動画に出て来る年老いた人のシルエットが思いの外上手く描けたのかと思っております(もっともこれはネットでの老人の写真を液タブに映しながら描いたので当然と言えば当然ですが)。
英詞は、比較的日本語詞に沿った形で作成出来たと思いますが、2番サビと追サビの
「Only, ***」
は実はOnlyをこのような形で使えるのかどうか良く解っておりません。一番のサビとフレーズを合わせたくてこの表現にしました。友人が修正した英文は別だったのですが、この部分はフレーズを同じにしたくて、友人の修正した英文を友人の許可なく、私が再修正しました(いつもの解らない変な拘りにて)。
間奏の動画に出て来る稲妻はちょっとアクセントを付ける為に入れましたが、「曲と合わずにやりすぎたかな?」と思う反面「この程度ならアクセントにもならないだろう」という相反する二つの気持ちが混在しています。
もうひとつ、英詞における大きな反省は、サビのフレーズに出て来る言葉
「***here」
この here がどうも聴いていて引っかかりました。綺麗な発音として聴こえません。これが「here」の持つ発音要素なのかもしれませんが、サビでの使いどころでもありますので、今後「here」が出て来る詞に関しては、その聴こえ具合も考えて作詞しなければいけないと思いました。日々勉強です。
The Bus Stop Sign Lyric:Song/O-Chan
A bonnet bus left for the red sunset leaving a few dust, sound and vibration
Behing it, there is a bus stop sign in an abondoned small village
Only a few people ride on the bus here
The bus stop sign is always standing alone
While watching various human stories
every day every time
The bus stop sign is standing without saying anything
but knowing everything
The village also gradually grows older The people move to the modern city
Behingit, there is only the bus stop sign staying in an umpopular empty place
Only, no people wait for the bus here
The bus stop sign continues standing alone
While resisting the strong wind and heavy rain
evry season every year
How many seasons have changed and rotated
How much time has passed in the rural town
Only, no people ride on the bus here
Only, no bus comming and passing through here
The bus stop sign sag and drag rusty
but it continues to stand in the rural road
continues to stand in the rural place
resisting the passing of time
1,000回感謝記事
日本語曲【バス停看板】は2024年10月17日に視聴回数1,000回に到達しました。アップしてから6ケ月半での視聴回数1,000回到達です。この曲をご視聴いただいた全ての方々、及びいつも聴いてくれている私の友人に深く感謝します。
一方、英語曲【The Bus Stop Sign】が視聴回数1,000回に到達したのは2025年1月31日。アップしてから4ヶ月弱です。投稿してからの日数的にはこの曲もこの前に投稿した「笑顔の陰に」「False Love]、同様、英語曲の方が日本語曲よりも早く視聴回数1,000回に到達しました。この曲もご視聴いただいた全ての方々、及びいつも聴いてくれている私の友人に深く感謝します。
視聴回数推移のグラフは、日本語曲と英語曲を一緒に、そして比較の曲としてこの曲の前後にアップした「微笑みの陰に」「応仁の時」とそのその英語曲とを比較してを下に示しました。グラフ中緑色の線で示したのが「バス停看板」、青色が「The Bus Stop Sign」です。

投稿してからの日数に換算したグラフを下にどうぞ。今度は水色の線が「バス停看板」、黄色の線が「The Bus Stop Sign」です。
ここ数曲、日本語曲よりも英語曲の方が視聴回数が多い傾向が続いております。これまでとはちょっと違う傾向です。改めて見ていただいた全ての方々に深く感謝しております。
ただ、1,000回を越えてからのカーブは英語曲は日本語曲よりもなだらかになってきているので、このまま続けば遠くない将来に投稿してからの日数換算では逆転現象が起こるかもしれません。

日本語版【バス停看板】の視聴回数1,000回到達感謝記事Short動画です。何故か動画のリンク先を直接埋め込むと画像がやたらにデカくなってしまうのでリンク先はアドレス表示に代えました。
https://www.youtube.com/shorts/cs2zMIefheQ
英語版【The Bus Stop Sign】の視聴回数1,000回到達感謝記事Short動画リンク先です。
https://www.youtube.com/shorts/Eft1BevP3cg
恒例?のソングスコアをどうぞ。タイトルは「時刻表」だったんですね。実は当時からバス停の標識をどう呼ぶか解らず、Originalの詞は「時刻表」で手を打ちました。
でも最近のネット技術の凄さ。バス停の標識をどう呼ぶか調べると「バス停標識」「バス停看板」等が容易に出て出来たので、YouTube投稿に際しては「バス停看板」にタイトルを変えました。

時刻表 詞/曲:O-Chan
今日もバスは小さな響きを残し 赤い夕陽の中へ消えて行った・・
後に小さな田舎の停留所の時刻表が立ってるだけ・・
ここでバスに乗る人はまばら いつもひとりぼっちのままで
雨風に打たれながら白いペンキもはげかかり
だけど時刻表はいつも立ち続けている
いつの日にかその村の人は 都会へと移って去って行った
バスは廃車になってしまい 時刻表を見る人もいない
さまざまな物語を見つめ続けながら
今日も明日もひとりきりで立ち続けている
幾人の人が過ぎていっただろう いく年が過ぎただろう
ある日車に乗った男の人が 時刻表の前で立ち止まり
時刻表のさびついた体に 真白なペンキを染って行った
ここでバスに乗る人はいない いつもひとりきりのままで
さまざまな物語を想い浮かべながら
微笑み時刻表はいつも 立ち続けている・・
いつも思うのですが、詞は改訂前と改訂後、どちらが良いと言えないのですが、この曲に関しては改訂して良かったかな?と思っています。
理由は、実はOriginalの詞は3番の詞が上手く思いつかず無理矢理作ったので、やっぱり詞に無理矢理感を感じるからです。Originalの詞では、その村に以前住んでいた人が年月が経ってからバス停看板に感謝の気持ちで「ありがとう。頑張っていてくれよ」みたいな感じでペンキを塗った設定にしたのですが、実際にはこのようなシチュエーションってあり得るでしょうか?
錆びれたもう使われていないバス停看板にペンキを塗る人は一般的にはどう考えてもまずありえないですよね。更に、それだけ錆びていれば、ただ上からペンキを塗るだけじゃ駄目。まずはサンドペーパーやヤスリ、グラインダー等で錆取りをする。更にそれだけ年月が経っていれば鉄部分は朽ちてボロボロになっているでしょうから、錆取りをしている時に柱自体が折れてしまうかもしれません。
若い頃はそこまで考えが及びませんでしたが、歳を取るとどうも世間体を気にするというか、あまりあり得ない事を表現してもどうかと思い変えました。ただし、Originalの詞をあえて自己弁護するなら、バス停看板が木で出来ていたという設定。それならペンキ直接でも可能ですね。



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