22.【Freedom】(曲紹介+1,000回到達感謝記事)

Original曲・紹介

はじめに

 2023年11月23日に投稿したOriginal曲紹介記事【21.The Only one thing to remain to me】にて、Original曲の紹介記事の前にその曲の視聴回数が1,000回に到達した時は、Original曲の紹介記事の中に資料回数1,000回到達の感謝記事も併せて記載させて頂く計画であることをお伝えしました。
 今回紹介する【Feedom】はとても有難い事に、タイミングの関係上、曲紹介の記事と視聴回数1,000回到達の感謝記事、2件が別々にアップされておりましたのでここで記事を統一させて一つにさせていただきます。

曲紹介

この曲【Freedom】も学生時代に作りました。当時は詞の作成に苦労する事が多かったのですが、私の場合、詞の構成はどうしても恋愛詞、失恋の詞に流れる傾向が多かったです。これ不思議なもので、私の場合は失恋の詞は結構作りやすく、楽しい詞を書くのが難しかったですね。(楽しい事が少なかった経験上から来ることかもしれませんが・・)
そして、そこで一度恋愛詞から脱却して少し社会風刺的な詞も作ってみたいと思って作ったのがこの曲です。原曲のタイトルは【浮浪者】でした。

 曲のきっかけは学生時代・夏休みの時に経験した一つの事柄に遡ります。当時私は数日間の纏まった休みの時には、旅行に出たりしもていたのですが、夏休みのある日、旅行に出て夜行列車に乗り換えようとしていた時、それまで乗っていた列車が遅れて、夜行列車の始発の駅への到着が大幅に遅れてしまいました。その駅に到着した時には既に夜かなり遅い時間になっており、夜行列車は既に発車済み。大学の寮に引き返すにも、夜遅くて戻る電車が無い。という状況に陥りました。
 当時は時間はあるけれどお金は出来るだけ使いたくないという状況でしたので、駅前のホテルに宿泊するお金ははもったいなく、ごく自然に駅のホームにて朝の始発まで仮眠することにしました。ところが、最終電車が出た後、駅の待合室が閉められるんですよ。そうするとどこかに移動して夜を明かさなければいけません。

 すると、どこからか出て来たかのかは解りませんが、駅の出入り口のシャッターが降ろされる時、結構多くの中年~壮年~老年の男性(今で言う、いわゆるホームレス)の人がぞろぞろと出て来て、皆、屋根が付いていて(アーケード)雨をしのげる駅前の通路に段ボールを持って移動し、そこで通路床に段ボールを敷いて寝始めました。
 帰るあてもない私もその中に混じって段ボールを居酒屋の脇のゴミ捨て場のような所から調達してその方々と一緒に移動、段ボールを通路に敷いてそこで仮眠することにしました。
 でも、これは初めての経験でそういう時ってそんな眠れる訳ないじゃないですか、そうするとどこからかちょっといかついお兄さんが来て「兄ちゃん良い仕事あるよ。こないか」と声をかけられて、怖かったので聞こえないふりして眠ったふりしてやり過ごす(多分これが一番無難?)。
 ついで別の同じように段ボール敷いているおじさんに肩たたかれ、振り向くと彼は何も言わずに煙草を一本取り出して「吸う?」のジャスチャー。僕は煙草は吸わないのでこれも声を一言も発せず首を横に振って(丁重にお断りして)、正直「これ朝まで結構大変だな」と思いました。
「これは何が起こるか解らない。とりあえず寝たふりしよう」と思い、とりあえず目をつぶって寝たふりをする事にしました。
 そしたら・・いつの間にか寝落ちてしまって、翌朝駅員さんに肩をたたかれ起こされ、周りを見ると昨日のホームレスの人は誰一人居なく、私は通路に一人段ボールを敷いて寝ている。という、(貴重な?)経験をしました。
 そしてその経験を元に作ったのがOriginalの【浮浪者】です。

社会人になってから、橋げたの下とか、公園に滞在するホームレスが取りざたされるようになって、その人達も実は昔は会社員だったりしたりしていたドキュメントを見たり、そして自分がずっと会社員としてしがみついて生きてきた事等を振り返ると「彼らは実は自由なのではないか?」と感じる時もありました。

 そしてこの曲をYouTubeにアップするに際して、駅前の通路で一夜を明かした時、僕に煙草を勧めた人の事を何故か思い出し、その人の印象を含めて詞を変えました。当時は私はそこまで感じる事が出来なかったのですが、改めて思い出すと彼が何かから解放されたような清々しい表情をしていて、自由であるような印象を持っていたからです。若くて何も解らなかった時の感覚と、それなりに歳を取って、自分の感覚が異なってきたからかもしれません。
ちなみに、YouTube投稿前のOriginal【浮浪者】の詞は視聴回数1,000回到達の感謝記事にアップしておりますので、もしよろしければそちらもご覧頂き詞の違いを比較してみて頂けたらと思います。

 動画作成に関しては、まずミクの顔が自分的には気に入っています。そしてこれ以降の他の曲も基本的にはこのミクの顔をベースとしてイラストを作成しております。次に地球が回るところ、そしてPhotoshop365のアニメーション分散手法を使って地球が砕けて行く所、最後それが降ってくる雪とコラボして、一番最後にタイトル表示と重なる所、自分なりには動画は結構良い感じで仕上がったと「作った当時は思っていました」それが・・別投稿{動画作成での大失敗【Freedom】}で紹介させて頂きました通り、地球が回る所で線が出ている大失敗を犯してしまいました。こんなところがやっぱり素人所以ですね。

詞/曲:O-Chan

流れゆく人混みを訳も無く見つめている
君の眼が見てるのは人なのか皮肉なのか
誰も同情はするはずもないさ
コイン投げる暇も惜しんで歩く
 よせよ慰めは よせよ哀れみは
 みんな君のように 望み無くす日が 
 怖いだけさ

コンクリート座り込み旨そうに煙草吸う
君の眼が自由だと見えたのは僕だけか
みんな気にも止めずに早足で歩く
不満抱えたまま今日もまた歩く
 よせよ慰めは よせよ哀れみは
 みんな君のように そこに座る日が
 怖いだけさ

 よせよ慰めは よせよ哀れみは
 よせよ強がりは よせよ見下しは

1,000回到達感謝記事

な! な! な! なんと凄い事が起こってしまいました。【Georgeは永遠に】が視聴回数1,000回に到達した翌週、2023年10月31日に【Freedom】(2022年11月13日投稿)も視聴回数1,000回に到達しました。視聴回数1,000回到達の感謝記事を2週連続で投稿する事になりました。
 更にとても有難い事に、2023年11月9日時点前、11月6日に【夜更けの街で】【夢心地】も2曲同時に視聴回数1,000回に到達しております。改めて、これらの曲を聴いて下さった全ての方々、及びいつも視聴頂いている私の友人に深く感謝致します。本当にありがとうございます。
 そして、このブログを始めた頃には全く予想もしていなかった新たな事態に直面することになりました。それは、2023年11月9日時点で他にも視聴回数が900回を超えている曲が数曲控えておりますので、この調子で行くと毎週木曜日にアップしているこのブログの記事は暫くの間1,000回到達の感謝記事のみが続いてしまう事になってしまいます。

・・さて、どうしたものか・・

⇒ずっと1,000回到達記事だけだとワンパターンで、どうしても見ている人は飽きてしまうでしょう。
O-Chan(心の声1):「誰が、何人がこのブログ記事を見ているの?(⇒実際の所、実は記事を見て頂いている件数は極めて少ないのが実情です。回数から類推すると、多分そのほとんどが私の友人と身内。それなら別に感謝記事が続いてもそれで良くない?」
 (注:私のブログ投稿記事で唯一の例外として多くの視聴回数を頂いているのは一番最初の投稿記事【壊れた電子ピアノ(YAMAHA)Clabinova CLP-170の修理復活奮闘記】です。これは多くの方にご視聴頂いております。しかし、残念ながら他の記事は視聴回数はとても少ないのが実情です。)

⇒思い切って感謝記事投稿は普通の記事とは別に、曜日を限定せずに1,000回到達の時点で投稿したら?
O-Chan(心の声2):「今のところこれが一番現実的かな? 木曜日の投稿はこれまで通りの運用で通常の記事として、それとは別に感謝投稿記事を別の曜日に投稿する」

をベースに、今後も毎週の記事投稿はこれまで通りの内容を継続して、それとは別に視聴回数1,000回到達感謝記事を曜日に拘らずにアップして行こうかと一旦は思いました。

⇒ここでもう一つ別事態に直面する事に気が付きました。感謝到達記事にはYouTube Shortの1,000回到達感謝動画を配信してからそのリンク先も入れております。感謝到達記事をアップするという事は、感謝到達のYouTube Short動画のアップ(今の所毎週金曜日)をそれより早くアップしなければいけません。今回のように【夜更けの街で】【夢心地】が両方同時に視聴回数1,000同時に達成した場合、

O-Chan(心の声3)「YouTube動画と感謝記事・2曲同時にアップするの? それとも別々? 同時アップならそれなりに作るのに時間がかかるから、到達記事の投稿は多分遅くなるよね。別々なら2曲のうちの少なくても後の投稿の曲は、1,000回到達した時より感謝記事の投稿が遅くなるだろうから、結局、2曲同時アップ、別々のアップ、どっちの場合も結果的に1曲は感謝記事の投稿が遅くなる事になる。それなら感謝記事の投稿のタイミングには拘る必要無いんじゃないの?」

O-Chan(心の声4)「何を訳の分からない事言っている。【夜更けの街で】【夢心地】両方ともまだ視聴回数1,000回到達の感謝YouTube Short動画さえ投稿していない(11/09時点)。この時点で既に感謝記事の投稿タイミングはどうでも良い感じじゃん!]

O-Chan(心の声5):「それならYouTube Shortはこれまで通りの週1回のアップにして感謝Short動画が続いても良いと割り切ろう。そして、感謝ブログ記事はYouTubeの感謝short動画を投稿したずっと後になっても良いと割り切ろう」

というこれも長々とまた訳の分からない心の葛藤の元、今後も今まで通り毎週(今の所は木曜、ただし将来的には曜日は変えるかもしれません)のブログ記事にて視聴回数1,000回到達の感謝記事と普通の記事を併用して投稿して行きたいと考えております。
 これより1,000回到達感謝記事は、その曲が1,000回に到達した時期よりも投稿がかなり遅れる事も出てくると思いますので、少し旬を逃した感じになってしまうかもしれませんが、基本的に「旬」というのは新曲を投稿した時だと思うので、これを元に考えるとそもそも旬は既に逸してしまっております。加えて、基本的に本ブログはOriginal曲の紹介、それを作成した時の経緯を紹介したいために始めたものですから、別に1,000回到達の感謝記事の投稿タイミングに拘る必要は無いでしょう。
と、いう事にしました。(でもYouTube Shortの投稿はこれを機に、2023年11月9日時点で今週から毎週金曜日から土曜日に変える事にしました。少し前から新曲の投稿を2週間に1回のルーティーンで金曜日に変更したので、曜日は被らない方が良いと考えた為です。)

⇒と、言う事で【Freedom】の視聴回数1,000回到達の感謝記事のはずが、前振りがかなり長くなってしまいました。以後、本題の【Freedom】の記事に入らさせて頂きます。下の図にいつものように視聴回数の推移のグラフを示します。橙色がFreedomの視聴回数推移線です。これもそれより少し前に投稿した【Georgeは永遠に】(緑色)と似たような推移ですね。

そして投稿後の日数に横軸を変換した結果を下のグラフに示します。
これもまた、な!^3 んと、【Fredom】は投稿後の日数的には【Georgeは永遠に】より少し短く、投稿後1年未満で1,000回に到達しておりました。【Georgeは永遠に】より投稿時期が遅かった分、2023年6月末の視聴回数増加傾向の波に投稿後経過の日数的には早く乗れたおかげだと思います。

この曲の1,000回到達感謝Short動画をアップしました。よろしければこれもご覧下さい。

この曲の動画作成においては、個人的にはミクの顔が結構気に入って(個人的見解です)、また動画もPhotoDirector365の分散効果を使って地球が崩れて行く所に手をかけて作り、これも気に入ってはいるのですが、この動画の作成において別に大きなミスをしてしまいました。それは別記事「動画での大失敗【Freedpm】」にて紹介しておりますので、もしよろしければそちらも一度ご覧下さい。

このソングスコアを下に示します。すみません、これも長い年月経過でかなり汚れていますね。実はOriginal曲の題名は「浮浪者」だったんです。ずっとこの題名がどうもずっと引っかかっており、YouTube投稿に際して詞と共に題名も変えました。

変える前、Originalの詞は次の通りです。

流れゆく人波に あても無くもまれてる
汚れきった君の手は 夢さえもなくしたのか
誰も同情はするはずもないさ コイン投げる暇も惜しんで歩く
よせよ慰めは よせよ強がりは
みんな君のように 望みなくすのが 恐いだけさ 

コンクリート座り込み うなだれてタバコ吸う
すさみきった君の顔は 希望さえ捨てたのか 
みんな気にも止めずに 早足で歩く
乗り遅れまいと もがいて歩く
よせよ慰めは よせよ強がりは
みんな君のように そこに座る日が 恐いだけさ

よせよ慰めは よせよ強がりは
みんな君のように そこに座る日が 恐いだけさ

これも全くの手前みそになってしまいますが、今回詞を変えてかなり曲の印象が変わった気がします。Originalの詞は明るい要素が少ないですね。これはこれで一つの主張なのでしょうが(すみません、詞を読み返すと何を主張したかったのか自分でも詞からは良く読み取れませんね)、今の私の印象としては変えた今の詞の方が少しですが主張したいことを読み取れる気がします。

この曲のイメージは私にとってはちょっと不良っぽく、尖っていて出来ればあまり近付きたくない知り合いですね。この曲が嫌いだという事ではありません。自分の子供達(自分が作った曲達)は全部大好きなのですが、曲のイメージをあえて人として例えるとこのような感じです。
ギター片手でカラオケBOXで歌う時は、この曲のサビの部分の高音を張る部分がOriginalのEmのキーでは高すぎて私は声が出せないので(本当は地声、あるいは強い裏声を出せれば聞かせ所だとは思うのですが、それはいわずもがな無理なので)、実際はずっとキーを下げて歌っています。不思議なものでキーを下げると曲の尖った性格も少し下がってマイルドになった感がして、歌いやすくはなりますが本当のこの曲の特徴が少し萎んでしまうような気もしています。YouTubeに際してはミクがOriginalのキーのまま高音も上手く歌いきってくれているので(これはミクの本領発揮の部分ですね)、ミクに感謝です。

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